ここまで子供だけではなく、白河市民全般の教育的に限らない人道的なレベルが落ちていたとは驚きの一語でした。
私は、東京生れ東京育ちの純粋な東京人ではあるけど、先祖代々は東京ではなく、子供の頃から山形米沢藩の祐筆であったと自慢げに母親や親戚の人から何度も聞かされて育ちました。その裏づけは今もわかりません。しかし、父親も母親も青森市で、お墓も青森市内にありました(今は東京小平)。その父親の父は士族で、あの八甲田山雪中行軍の遭難で有名な青森陸軍第8師団に属してかなり偉かったようで、勲章を沢山つけて軍刀を下げた写真を何度も見た覚えがありますけど、父も母も既に死亡してその所在は不明です。母の旧姓は原と言い実家は長野で、しかし父親は青森で高利貸しだか銀行だかで財を成し、蔵がいくつもあり、常に馬車が何台も蔵に並び、母親はその並んだ馬のお腹をくぐって遊んでいたと、私が馬術部で馬に夢中になっている時、話をしてくれました。
そんな関係で、DNAは東北なのでしょう、東京にいた頃から何度も聞く「白河以北一山百文」という東北蔑視の声、それも大阪だか京都だかに陣取るサントリーの佐治敬三(大阪商工会議所会頭、サントリー社長)の東北熊襲発言は絶対に許すことのできない、私が東北を擁護する行動力の原点です。
青春時代の思いはそのまま今に至り、終には母親を白河に住まわせ、自分も白河に越してきました。
そして、実際に東北の玄関口である白河に住んで12年、この間、汚名返上のため、先ずは子供たちに歴史を知って欲しく、いずれも舞台は白河の6冊の本、これを是非子供たちに読んで欲しいと鈴木和夫市長や、各学校へと寄贈するもなんら応答なしの無礼。この無礼があって、何度も県南の選挙に立ち上がること5度、それは哀しくも啓蒙のためでした。
子供たちに高い教育を為していれば、この恥じ入る蔑視の言葉に発奮して、それぞれに道は違っても何かを目指して頑張れる筈。それが何も見えて来ない。そこに、東日本大震災が起き、原発が爆発し、東北の二重三重の災禍。ここでこそ立ち上がるべきに思うが、高い教育のない環境下、ただ物乞いのような賠償請求に徹し、自ら立ち上がることは、終に無かった。
こんな時に、箱物ばかり作ることに何の意義があるというのだろう?「箱物より、先ずは教育」と訴えた私に、【市民は供託金没収】という、志ある立候補者をあざ笑うような汚名のレッテルを貼って、「万歳!万歳!」の連呼。これが、まともな人間のやることなのかと思う。
子供たちに高い教育の機会を与えず、安い労働賃金で、企業誘致した大企業に提供することが市長としての高い評価と受け止める市民。やはり、「白河以北一山百文」の蔑視の言葉が現実に定着してしまったのかと、それも、東北の玄関口である白河で!
しかし、915人の市民が私の主張を認めてくれた。これは心底嬉しく思う。初回の得票数は、いずれも最下位で白河が540票、泉崎24票、西郷村483票。
私の主張が数字の上で倍増しているのだ。これが減少した時には、たしかに、東北に明日はなくなるのかもしれない。私に託された915人のお気持ちに懸命に応えたいと思う。東北の先人には「愛と平和」に溢れたDNAがあることを、自費出版を重ねて学んだ歴史の中で実感しています。この東北の先人のDNAを世界に広めたい。その発信を、ここ白河から!白河がそんな「愛と平和」溢れる国際都市を目指すべきと訴えた今回の選挙は決して間違っていないと改めて915人の市民のみなさんによって後押しされた思いです。ありがとうございました。
そして、若者たち言いたい。金山は、「この可能性、決して終わらせないヨ」と。
posted by wh_meary at 06:00| 福島 ☁|
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