2019年03月20日

『のの』高齢者に癒し、偉い!

私事で恐縮ですが、国策でもある高齢者サロン(高齢者が閉じこもりがちにならないように各地域で定期的に開催する)そのサロンの代表を東日本大震災をきっかけに東北新幹線新白河駅のすぐ前のコミュニティーセンターで月に一回行っていて8年になりますが、課題は月一回とは言え何をやるかが毎回の頭痛の種。何とか無難に続けていますが、自分としては動物好きということもあって、特に馬が大好きなんですが、馬は無理でも犬とか猫とか高齢者の癒しにと。しかし、犬嫌い、猫嫌い、あるだろうなと、ず〜と遠慮して来たんですけどこの3月、市内の動物愛護団体が小学校とかで犬との触れ合いをやっているのを知って思い切ってサロンに呼びました。もちろん前もって会員さんには知らせますから、果たして参加者がおられるかでしたが、いつもに変わらず大勢の方が参加され、楽しい触れ合いの一時間でした。今朝、読売新聞福島版に≪小型犬高齢者に癒し≫の大きな見出しで、震災で一か月間も孤立して痩せ細って生き延びた一匹のトイプードル、イタリアングレイハウンドのミックスの9歳の雌犬がいわきの介護施設で高齢者に限らずみんなの癒しに頑張っているとの記事を見て、偉い!と。可愛がっていた飼い主は第二子の妊娠を確認するため、浪江町の病院に受信に来ていて津波に襲われ亡くなったとのこと。大きな悲劇の裏に、こんな小型犬の頑張りを聞くと、犬とは言え、その隠された力に、改めて凄いなと感心します。犬の名前は『のの』。
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2018年12月13日

ボヘミアン・ラプソディ見たよ!

NHKで何回も紹介するやら、民放でもあれこれ話題になっている映画。11月9日封切り公開だからそろそろ見れなくなる時期で母子で泣いたとか父子で泣いたとか気になるコメント、今時親子で泣ける映画なんてあるんかいなと気になっていて、映画で泣いたなんてもう65年以上も前になる「24の瞳」位しか思い浮かばない。という事で、ここ白河には60年も前には3つ4つ邦画、洋画の映画館があったようだが今は一軒も無いのでお隣栃木那須塩原にある那須フォーラムへ夫婦で出かけた。二時間14分という長い映画、何処で噂の泣く場面が出て来るのか、今か今かと待ち続けて二時間、待ちくたびれて「何だこの映画は!」みたいな期待外れに眠りかけた頃、クイーンの持ち時間が20分とかの世界社会奉仕入場料無料の7万4千人とかのライブのシーンが突如エンディング、まさに生放送的に繰り広げられる。これが圧巻!先のだらだらが効いたのか圧巻、圧巻の20分。どうもこれは役者ではない本物のフレディ・マーキュリーらしい。ここで、涙がどっと溢れる。クイーンなんてバンドを、勿論そのヒット曲もまるで知らない78歳の爺さんの涙腺を緩めるロックという音楽に、いや耳をつんざく音色もそうだが、歌詞と言うか絶叫と言うか、曲に合わせてほとばしる声色に圧倒される。フレディは大の日本贔屓で、日本の陶器に魅せられて栃木足利の陶器美術館に来館したとか、そんな話を聞くと親近感も加わって、二度、三度とこの映画を見る人の多さも分かる気がする。専門筋には極評と言われているが、日本を始め世界の多くの人が感銘を受けての高評価は殺伐とした今の時代に、人として世界共通の善なる魂を感じさせる。手前味噌になるが、東北の関門、白河から一押しのイイネを送りたい。
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2018年11月10日

県知事選回顧その2

 赤い靴はいてた女の子 愛クピドと魂プシュケ物語【陸奥偏】
 赤い靴はいてた女の子 那須白河がニューヨークになる日【紐育編】
 赤い靴はいてた女の子 コウノトリの郷【白河編】
             白い鳥コウノトリになった六人の乙女

東北大震災を契機として書き綴り始め、それは時空を超えた縁と縁が紡いだ東北の魂の物語となってシリーズ「赤い靴はいてた女の子」上記三篇が、戊辰戦争から150年の節目を迎えた本年に完結。来年には天皇退位、この縁が重なって県知事選に出馬したが最下位と惨敗!私は今も続く東北蔑視の象徴とも言える「白河以北一山百文」の払拭には教育、特に郷土の歴史教育が大事とこれまで6回選挙に出馬して訴え続けて、今回も全く同じ事を訴えた。その内容の詳細はこの三篇に込められている。結論として得たものは7年も前の震災の復興ではなく、今に劣化した強く美しい東北の心の復活が先ず先決だと。それには戊辰戦争で見せた会津魂、日本の侍魂の復活、再評価が欠かせない。四民平等となった今、農民も商人も、大人も子供も、女も男も、日本の心として共有すべきだと。福島県知事選を控えて内堀雅雄氏が再選を目指して立候補を表明、その支持率がなんと80%を超えていた。結果は内堀氏の圧勝で得票率は90パーセント超。しかし、その出自は有ろうことか信濃である。信濃の松本、松代、飯山三藩は先の戊辰戦争で江戸城無血開城後に薩長に加担して会津に攻め込んで大義無き戦争犯罪とも言える狼藉の限りを尽くした藩。氏はこれを反省するでもなく、勿論謝る気持も無いだろう。戊辰後の150年、薩長藩閥政治が大手を振って罷り通り、日清、日露、そして先の大戦を起こし、その総括、反省も無く今の森加計問題に繋がっている。この薩長藩閥政治の元、日本の心の劣化が止まらない。これを止める事ができるのは福島県民しかいない。今や京都守護職ならぬ東京守護職、日本守護職を名乗り出るべきで、まさに福島復活、東北復活の最後の機会がこの知事選と出馬したのだが、、、、。未だに朝敵の汚名を返上できていない福島県民は、自らの手でなく怨念の敵方に県政を託すなどの不甲斐無さに松平容保公の無念の怨霊が、どんな鉄槌となって落とされるか覚悟して生きなければならないだろう。
この選挙の実態を私は歩いて歩いて納得した。内堀氏が選挙カーでどんだけ隅々まで廻ろうと、上から目線の素通りで、増して楽勝となれば反省も無いだろう。劣化の実態の一端を紹介する。
ローカル線の東北本線、朝一番に毎回乗り込んでの風景。老人身障者等の優先席が完備されているが、若者が多い朝のラッシュ、その優先席を若者が占拠し直ちに目はスマホに釘付け。足を痛めてビッコタンの私78歳の老人は、この2週間一度として席を譲られる事は無かった。
この若者達に言いたい。上記の3冊、是非読んで欲しい。15歳の少女きみちゃんが、見事に大和心の素晴らしさを君に教えて呉れる筈だ。そこで今の自分がどんだけ劣化しているかに気付く筈だ。「天皇陛下万歳!」と言って死んでいった15歳の少女を馬鹿にしてはいけない。

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posted by wh_meary at 20:33| 福島 ☁| Comment(0) |  黒森便り〈ブログ版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

福島県知事選回顧その1

 昨日、磐梯町慧日寺に詣で、帰途磐梯町駅近くの某家(告示日に必勝祈願のため慧日寺を参拝した折、駅近くで慧日寺への道筋を聞いたところ、とても歩いて行くのは大変だと言って軽トラックに歩行補助に手押しで歩いていたわんわんカーを荷台に載せて往復案内してくれた)に寄り、ご本人不在でしたが同居されている姉(妹?)夫婦が丁度戻られ、お礼の御挨拶をさせて貰った。これで、今回の知事選の顛末の全てを事後整理を含めて総てを終えた事とし、その整理に重ねて回顧録を順不同に書き綴り、これを元に、書き綴ってきたシリーズ本「赤い靴はいてた女の子」の完結編として出版しようかと思っている。

 そもそもの県知事選出馬の動機が戊辰の役150年の節目に当たっての総括とも言える様々な行事への「そうじゃねえだろう」みたいな不信感が根底にあった。戦った当の会津藩の城主松平容保が私が生まれ育った東京、それも40年近く住み慣れた目黒で亡くなったと知らされた(司馬遼太郎の王城の護衛者等)事による。これを当の会津若松の諸施設に確認したところ、それは間違いで小石川ですと一応に答えた事の不信感が、総ての行事への不信感へと高まり、俗化した、劣化した、会津に限らない福島県民への警鐘とも言える、恐らく立候補者が有権者に向かってお願いするのではなく説教、言わば辻説法。大した能力も、実力も無い奴に説教された事への反感があるだろうの心配は勿論あったが、年齢が年齢である事と、先の大戦の総括と言う意味も含めて、それを語る事の出来る最後の世代という自負もあって、説教調を敢えて貫き通し、私自身、主張している事の正当性を充分に承知している事もあって、最下位と言う結果に何の悲壮感が起きることは全く無く、僅かに白河で最下位を免れた事が逆に、白河での再起という一点の光明がはっきりと見える事になった。何の遠慮もいらない、白河こそが東北の都であるべきだと。

 容保が執拗に戦った誉は次のように総括できるだろう。そもそも民の財を悉く略奪し、非情な殺戮を繰り返した西軍は天皇の名を借りた全くの賊軍であり、許すことの出来ない「君側の奸」そのもので、これとの戦いはまさに正義の戦い、容保公としては最後まで戦う強い意志を持っていた筈である。しかし、越後口総督の仁和寺宮が錦の御旗(偽物?)を掲げて越後街道を高寺まで押し寄せて来た事を米沢藩から知らされ、勤王の藩である会津藩は米沢藩の斡旋を受けて、天皇の軍に抵抗する事を本意とせず、潔く矛を収め降伏開城を決意した。この事の経緯に何等矛盾は無くお見事と言わざるを得ない。
 なのにである、150年もの長きに亘って朝敵、国賊呼ばわりされるのを許し続けている現状を憂えているのは私だけなのだろうか?この150年の節目が最後のチャンスと決起を促すも反応はまるで感ぜず、説教じみた私の演説には反感すら感じたのだろうか結果は最下位!でも白河では僅かではあるが最下位とならなかった事が私にとっては光明。ここは、遠慮なしに白河こそが「東北の都」と、改めて戦意高揚させております。
 題して、甦れ!古代律令国家「白河」ですね。今回の選挙で、新幹線で新白河駅通過がどれだけ悔しかった事か!東北の玄関が馬鹿にされているよね。来年の市長選、出れれば公約の第一は、「通過阻止!必ず止めさせます!」でしょうね。白河を東北の第一の都にします!

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posted by wh_meary at 05:28| 福島 ☀| Comment(0) |  黒森便り〈ブログ版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月29日

福島県知事選の結果は最悪!

ここまで福島県民が劣化したのには驚きました。これも薩長藩閥政治のしたたかさですかネ。東京人として、来たるべき大震災の事を思うと、父、母、兄、姉、弟、妹とまで思い込んだ私ですから、福島県郡山に新都を創って受け皿になって欲しく願った訳ですが、見事に振られました。
まあこれ以上選挙に出たり、本を出版したりとまとわりつくのも東京人としては潔しとせずで、ここは思い切って本拠地東京目黒に舞い戻っての老後の生活設計の立て直しを図ります。心残りは、愛馬と7年間過ごした西郷村黒森に眠るメアリーとの別れですが、週に一度は牧場の荒れるのを防ぐために新白河から通っていたのですが、同じ頻度で来れるかどうか。牧場を公園に整備して西郷村に寄贈できるのかどうかを含めて思案中です。いずれにしろ、《立つ鳥跡を濁さず》ですよね。長い間お世話になりました。強く御支持を頂いた皆さんには力及ばずでこのような結果になった事は大変申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。人生百年の時代です、またひょんな事でお会いする事があるかもしれませんね、その時はその時、みなみなさまのご健勝をお祈りいたします。

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posted by wh_meary at 03:04| 福島 ☁| Comment(0) |  黒森便り〈ブログ版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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